野村克也・兄が大学進学と引き換えにしてくれたこととは?野村嘉明の見てきた克也の姿に感動!

野村克也さんの突然の訃報に驚き、いまだに心の中にポッカリと大きな穴が開いたような感覚から、いまだに脱することができません。

それだけ多くの方に愛され、偉大な方だったのだということを再認識しています。

そんな野村さんにお兄様がいらっしゃるのはご存知ですか?

野村嘉明(のむらよしあき)さんと言いまして、3歳上のお兄様です。

そこで今回は野村克也大学進学と引き換えにしてくれたことや、野村嘉明さんの見てきた弟克也さんの姿についてご紹介していきます!

 

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野村克也・兄が大学進学と引き換えにしてくれたこととは?

それでは早速ご紹介していきます!

野村克也さんの子供時代は、とても貧しいものでした。

その理由としては、実家の家業として、食料品屋を営んでおりましたが、その父が戦争でお亡くなりになられてしまいました。

それにより、克也さんは女手一つで育てることとなり、小学1年生の頃から、兄と共にアルバイトをして家計を助けながら、暮らしてきました。

当時の住まいであった網野町は、ちりめんの産地で、周囲には裕福な家庭が多いこともあり、劣等感に苛まれる日々だったと話しています。

小学校低学年だった克也さんですが、いまだに当時のことが忘れられないということは、強烈に脳裏に焼つくほどの、貧困な状態だったということですね。

現在から80年ほど前の話ですが、生きていくことすらままならなかったという、現在では、想像もできない話だと思いました。

 

そんな貧困な状態から脱して、なんとか母に楽をさせてあげたいと考えた克也さんは、プロ野球選手になることを志すようになります。

一方で、高校進学も難しい経済状況であったため、克也さんは母から働くように、言われていました。

そんな状況を知った、兄の嘉明さんは、自身が大学へ進学する予定だったにもかかわらず、大学進学を諦めて、その分克也さんを高校へ入学できるように取り計らいました。

嘉明さんは、勉強が苦手な克也さんとは正反対で、勉強が得意で、学校でも指折りの優秀な生徒でした。

それだけに自身が大学に行けないことは、とても辛かったと思います。

しかし克也さんの弟の野球に対する情熱を知り、自身の大学進学と引き換えに、克也さんに高校で野球をするチャンスをくれたのでした。

ということは、万が一嘉明さんが、高校に行かせてくれなければ、名監督野村克也さんは存在しなかったことになりますね。

野村克也さんは偉大な方ですが、同じくらい嘉明さんも偉大な方のように感じます!

 

野村克也の兄嘉明との絶縁関係の理由に驚愕!

野村克也の兄嘉明との絶縁関係の理由に驚愕!

そんな二人が、その後40年近く絶縁状態になることになります。

二人に一体何があったのでしょうか?

その理由はズバリ克也さんの奥様である、野村沙知代さんの存在でした。

実は二人が結婚前に、交際していた時、二人はW不倫の関係でした。

もしそれが現在だったとしたら、プロ野球選手のW不倫ということで、大変な騒ぎになるでしょうね!

そう言った関係性から、結婚することとなるわけですが、そんな時に、嘉明さんから手紙が届きます。

その手紙には、不倫から結婚をしようとしていることに対しての、猛烈な警告でした。

実際には、不倫というのは誤解で、それを伝えようにも、全く取り合ってくれない状態でした。

そうしたことから、それ以来、硬い絆で結ばれていたはずの兄弟が、40年近く絶縁関係となることになります。

確かに、野村沙知代さんは内面も、外見もとても個性的な方で、派手な身なりの印象の強い方でしたので、嘉明さんが誤解してもしょうがないところもあったかもしれないと思います。

さらには当時克也さんは、プロ野球界のスターでしたから、派手な生活という、嘉明さんの先入観もあったのでしょうね。

 

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野村嘉明の見てきた弟克也の姿に感動!

成績も優秀で、勉強することが大好きだった嘉明さん。

なぜ、大学進学をやめてまで、弟に高校で野球をやらせてあげたいと思ったのでしょうか?

 

まず前提として嘉明さんが、優しさに溢れとても弟思いの人物で、克也さんに高校で野球をやらせたいという、強い思いがあったことには間違いがありません。

そしてもう一つが、克也さんの野球に対する情熱を、そばで見てきたからだと思います。

克也さんは中学校時代、主力選手として活躍していたわけですが、とても貧しかったため、ユニフォームはおろか、グローブを買うお金もありませんでした。

そのため試合の時には友人から借りて出場していました。

その時の集合写真が残っており、克也さんだけランニングシャツ姿で写っています。

またその努力も凄まじいものがあり、自宅での素振りにはバットが買えないため、お酒の瓶を降っていましたが、その音が近所中に響き渡り、近所では評判になりました。

貧しさからの劣等感に負けることなく、前向きに明るく、猛烈に努力を続ける、克也さんのそんな姿が、嘉明さんの気持ちを動かしました。

情熱を持って真剣に取り組む姿っていうのは、人の心を動かしますよね。

そんな情熱を持って取り組んでいたからこそ、偉大な記録を残すことができたんでしょう。

しかし嘉明さんも、ここまで活躍することになるというのは、当時は夢にも思わなかったでしょうね!

野村克也さんは、実績とともに、多くの人を残されてきました。

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そのDNAは今後のプロ野球界で、いつまでも残っていくと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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