武田英寿の出身・プレースタイルのまとめ!浦和への入団決定で支えてくれた両親への想いに感動!

第98回全国高校サッカー選手権もいよいよ終盤に突入し、盛り上がっていますね!

準決勝を迎える4校には素晴らしい試合を見せてもらいたいですね。

そんな中でも個人的にはタレントも揃っている、前年度王者青森山田に注目しています。

そこで今回はそんな青森山田武田英寿(読み方:たけだ ひでとし)選手の出身プレースタイル、支えてくれた両親への想いについてご紹介していきます。

 

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武田英寿の出身・経歴まとめ!すごすぎる実績とは?

それでは早速ご紹介していきます。

名門高校青森山田で、背番号10番を背負い、U-18日本代表としても大活躍で、将来の日本サッカー界を牽引すると言っても過言ではない、プレイヤーの武田英寿選手。

出身地は宮城県仙台市の出身です。

なんと若干4歳から仙台のサッカーチームでサッカーを始めます。

まあさすがというか、このくらいのプレイヤーになると、デビューも早いものなんですね。

小学生の時にはベガルタ仙台ジュニアに入団しています。

そしてなんと中学時代には親元を離れ、サッカーの名門青森山田に入学し、寮生活を始めます。

武田選手は小学6年生の時にプロサッカー選手になることを決意します。

そしてそれを達成するための、最善の方法として青森山田を選びました。

小学校を卒業したばかりの子が、親元を離れて寮生活ということに驚きますが、それ以上にご両親も心配が尽きなかったことだと思います。

しかしそんなご両親の心配も杞憂になります。

3年生の時には、キャプテンに就任し、背番号も10番を背負い、青森山田中学の全国中学校サッカー大会3連覇という実績を残します。

勝手な印象ですが、まさにサッカーエリートといった印象を受けますね。

名門校で10番を背負うことだけでも、とても大変なことだとは思いますが、さらに主将を務めるということから、武田英寿選手の人間性までもが素晴らしいことがわかりますね。

そして高校に上がると、1年生の時に県選抜に選ばれ、国体でベスト4という実績を残します。

そして2年生の時から背番号7をつけ、レギュラーとして試合に出場するようになります。

全国サッカー選手権大会に優勝すると、大会優秀選手に選ばれました。

中学時代に2回の日本一、高校時代にも2回の日本一という経歴は、あり期待な言葉ですが、ちょっと凄すぎるなあと驚いてしまいますね!

 

武田英寿のプレースタイルとは?何がすごい?

武田英寿のプレースタイルとは?何がすごい?

そんな武田英寿選手のポジションはミッドフィルダー。

多彩なパスを出せる技術で、チームの要として試合を組み立て、どんな状況でも試合を組み立てていける、多くの引き出しを持ち合わせている選手です。

名門、青森山田高校の攻撃の要として、試合をコントロールする武田選手は抜群の存在感を放っています。

この名前は、父親が、サッカー界のレジェンド中田英寿さんのような選手になった欲しいという想いを込めてつけられたものです。

そして武田英寿選手本人も、中田英寿さんのプレーに学びながら練習をしていたと言います。

そんな影響もあり、そのプレースタイルには、随所に中田選手を彷彿とさせるような、サッカーIQの高いプレーを見せてくれます。

個人的には、試合を見ていると、武田英寿選手がボールを持つとピッチの空気が変わるような、そんな印象を受けました。

相手チームのメンバーも、警戒感を高める中、躍動する武田選手がとてもかっこいいですね。

 

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武田英寿の浦和への入団決定で支えてくれた両親への想いに感動!

すでに来季よりJ1浦和レッズに入団することが決まっている武田英寿選手。

先述の通り、小学校を卒業し、プロサッカー選手になるため、親元を離れ寮生活をしながらサッカーに打ち込んできました。

そんなサッカー漬けの日々を支えてくれたのは、両親でした。

青森山田での6年間の寮生活と、サッカーということで、お金の面でもかなり負担が大きかったことが予想されますね。

そして何より、かわいい息子がまだ小学校を卒業したばかりにもかかわらず、離れたところで生活するというのが、辛かったのではないでしょうか。

僕自身が子を持つ親として、同じ状況であれば、とても辛いと思います。

そんな状況の中でも常に、連絡をしてくれて、練習道具や、体のコンディションについて気にかけてくれていたようです。

そんな状況の中で、自身の立てた、サッカー選手になるという、目標に向かい、それを実現させてしまう武田英寿選手は、もちろんすごいと思いますが、それを支えてくれた両親も、なかなかできることではないなあと感心してしまいますね。

そんな両親に対して武田選手は、ここまでしてくれた親に対して「プロにならないと帰れないな」「頑張らないといけないな」と常々思っており、それがプロサッカー選手になれた原動力だったと話しています。

そして何より、特別な感謝の気持ちを抱いているようですね!

おそらくこれからプロサッカー選手になり、活躍していくのでしょうが、お父さんがつけた名前に込められた世界で活躍するようなサッカー選手になって欲しいという想い、それを実現していくことが、何よりの恩返しになるのではないでしょうか。

今後の活躍に注目していきましょう!

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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