爆報THEフライデーにて、小鴨由水(コカモユミ)さんが特集されたことにより話題になっています。
小鴨由水さんといえば、元女子マラソン日本最高記録保持者・1992年バルセロナオリンピック女子マラソン日本代表選手です。
初マラソンで世界最高記録を叩き出し、当時は非常に話題になりました!
今回はそんな小鴨由水さんの気になる夫について、またその旦那との離婚までの経緯にについてご紹介いたします!
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マラソン元五輪代表・小鴨由水のプロフィール経歴まとめ
それでは早速ご紹介していきましょう。
オリンピックイヤーの1992年の選考レースの一つである大阪国際女子マラソン。
その年は松野明美さんを筆頭に、数多くの有力選手が存在し、ダイハツは有力選手の一人である浅利純子さんをなんとかオリンピックに出したいと考え、浅利さんのペースメーカ的な存在で気軽に走ってくれと、送り出されたのが小鴨由水さんでした。
選考してレースを引っ張るタイプだった小鴨由水さんは、その通り序盤からレースを引っ張っていきますが、なんとそのままゴールしてしまいます。
しかもなんと日本新記録を叩き出します。
一躍、時の人となり、五輪でのメダル候補として、一気に注目された小鴨由水さんでしたが、本人としてはこれまでオリンピックを目指してきていなかったために、周囲と世間の期待や、プレッシャーから挟まれてしまい、精神的に追い込まれしまい、完全にバランスを崩してしまうことになります。
スポーツ選手に限った話ではないですが、様々なタイプの方がいて、こういった状況で、勢いに乗って、そのまま大きく大成するようなメンタルの強い方も、世の中にはたくさんいて、正直そういった方のことを僕も羨ましいと思いますが、小鴨由水さんも考え込んでしまう繊細さを持ち合わせた方なんだと思います。
なんとかその後は、自らを鼓舞するように、奮い立たせながら、バルセロナ五輪に出場。
世間の大きな期待を背負いながら、走りきるものの、他の日本人選手が健闘、結果を残す中で、31人中29位と苦しい結果に終わりました。
驚くべきは五輪でのマラソンがなんと2度目のマラソンというのが衝撃ですね。
スポーツでは、心技体のバランスが大切とよく言われますが、うまくいかなかったのかもしれませんね。
その後結果を残せなかったことで、世間からはバッシングの対象に。
バッシングを受け苦しむ小鴨由水さんは引退を決意。
大阪国際マラソンでの鮮烈デビューからわずか1年ちょっとでの引退となってしまいました。
非常に短い選手生命ですが、もし小鴨由水さんが追い込まれることがなければ、じっくりと成長していけていたら、もっと活躍のできる選手になれていたのではないかと考えてしまいます。
マラソン元五輪代表・小鴨由水の旦那は名前&どんな人?
大阪国際マラソンでの鮮烈デビューからわずか1年ちょっとでの引退をした小鴨由水さん。
世間からのバッシングに、精神的に追い込まれてしまったこともあり、自宅に引きこもる生活を過ごしていました。
そんな苦しい生活を支えてくれたのが、旦那の光司さんでした。
光司さんはパン職人として働いており、マラソンとは無縁の生活を送っていたからか、小鴨由水さんのことを全く知らなかったようで、小鴨さんにとってはそれがとても心地よかったようですね。
光司さんと一緒にいると、走ることを忘れさせてくれて、意気投合し、二人は交際し、結婚することになります。
メディアで報道され、さらには世間からバッシングされ、逃げ場所がないと思い、精神的にも追い込まれ、自宅で引きこもっていた小鴨由水さんにとって心の支えになったでしょうね。
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小鴨由水と旦那光司の二人の離婚までの経緯に驚愕!
二人の子供を授かり、ママさんランナーとして復帰し、休日した日々を送っていた小鴨由水さん。
光司さんも一緒に走るなど夫婦関係は良好だったものの、光司さんが転職をしたことから、一気に多忙になり二人の時間が合わなくなり、徐々にすれ違いが起き始めます。
その後夫婦関係は徐々に壊れていき、ある時二人で言い争いになってしまった時に、離婚を切り出し光司さんも了承します。
かつて苦しんでいた時に助けてくれた存在で、結婚後もとてもいい関係が続いていました。
二人の子供も授かり、これ以上ない幸せな家庭だったはずですが、多忙なことからのすれ違いという本当にちょっとしたことから、離婚することになるわけですから、夫婦関係とはとても繊細なものですね。
離婚後も週に一度は家族で会う日を設け、良好な関係を築いていましたが、2014年に光司さんが病に倒れ、帰らぬ人になってしまいます。
小鴨由水さんはそんな経験を経て、自分のような状況の方の力になりたいと保険会社の営業レディを行なっています。
改めて、家族や大切な人との時間は、一見いくらでもあるように感じてしまいがちですが、本当に大切にしないといけないと考えさせられますね。
現在は大学の非常勤講師として指導も行なっているようですので、これからも走る楽しさを多くの方に伝えていってほしいと思います。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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