3月29日に志村けんさんがお亡くなりになられ、もうすぐ一週間となりますが、追悼番組も多く放送される中で、その姿を見ていると、まだ生きていらっしゃるようなそんな感覚になってきます。
様々な芸能人の方の、追悼のコメントを聞いていると、改めて志村けんさんの影響力の大きさを思い知らされますね!
そこで今回はそんな志村けんさんが子供時代の頃はどんな子だったのか、ご兄弟について、また少年時代嵌っていた遊びについてご紹介していきます!
スポンサーリンク
志村けんの子供時代の頃はどんな子だった?
それでは、さっそく志村けんさんの子供時代の頃について、ご紹介していきます!
志村けんさんは、1950年の2月20日に東京都北多摩郡東村山市に住む父憲司さんと母和子さんの末っ子として生まれました。
志村さんの父憲司さんは、小学校の教師を勤められており、教育熱心な方であったそうですが、さらに五段という柔道の腕前をお持ちの方で、何事にも厳しく、普段はとても寡黙なお父さんでした。
そんなお父さんがいるわけですから、志村家はいつもピリピリとした緊張感の漂う雰囲気の中で生活してきました。
しかし、そんな厳格な父親が、声を出して笑う瞬間があり、それはテレビで漫才や落語を見た時だったのです。
けんさんは、とても厳格な父親を笑わすことのできる、お笑いという世界に興味を持ち始め、それがきっかけで、中学の頃から、お笑いの世界を目指すようになります。
まだまだ子供だったとは思いますが、子供ながらに、父親を笑わせることのできるお笑いに、とんでもない力を感じたんでしょうね!
育った環境としては、けして明るいとは言えないような環境ではありましたが、けんさん自身の子供時代の頃は、落語や漫才、そしてテレビが大好きな子で、とても笑うとても明るい子供でした!
中学校や高校では、文化祭でコントを披露するなどしていたということから、学校では人気者だったのではないかと思います!
そして学生時代当時には、加藤茶さんのギャグ「カトちゃんペッ!」というギャグも披露していたというから、驚きですね!
まさか自分が、そんな加藤茶さんたちと、のちに同じドリフターズで、コントを披露するとは、その当時は考えられなかったかも知れません!
志村けんは何人兄弟?兄弟仲はどうだった?
そんな志村けんさんには2人の兄弟がいらっしゃいます。
まずは現在73歳の長男、志村知之さんです。
知之さん東村山市の職員として働かれており、定年退職後も臨時職員として、勤務されていました。
臨時職員としては、2年前まで働かれていましたので、とても元気な方であることがわかりますね!
知之さんは今回のけんさんが感染された際にメディアに出演されていたので、お顔を見られた方も多いと思いますが、やはり兄弟ということで、けんさんに似ていましたね!
そして二人目が次男の、志村美佐男さんです。
美佐男さんについては、年齢や詳細な経歴などは公開されていないようですが、知之さんと同じく、公務員としてお仕事をされていました。
実は、けんさんに負けず劣らず、美佐男さんもお笑いが大好きだったようで、3人で遊んでいた時でも、テレビでお笑い番組が始まると、遊びを抜け、正座をして見ていたそうですね!
同じくお笑い好きだったけんさんは、そんなお兄さんの影響もあったのかも知れませんね!
さてそんな3人兄弟の仲についてですが、2016年にはけんさんの公式インスタグラムで、3人で飲んでいる写真をアップされたことがありました!
けんさんがお酒が好きだということは、とても有名なエピソードですが、そんなけんさんと同じ血の流れる兄弟ですから、みなさんお酒がお好きだったのかも知れませんね!
また2020年の2月には、兄弟が集まり、けんさんの古希祝いを行ったそうです。
頻繁に兄弟で集まって飲食をともにするという事実から、3兄弟の兄弟仲はとても良かったことがわかりますね!
志村けんとたけしの関係性と仲は良かったor悪かった?二人のかつてのライバル意識に驚愕!
スポンサーリンク
志村けんの少年時代の謎の遊びに驚愕!
志村けんさんが、子供時代の頃に、熱中した遊びの一つに「釘ぶっとし」という遊びがありました。
この遊びはどういう遊びかというと、家の周りの畑に、釘を刺していく遊びで、要は一緒に遊ぶ相手と、交互に釘を刺していき、最終的には相手を囲んでしまうことができたら勝ちという、ゲームのようでした!
僕自身もそんな遊びは聞いたことはありませんでしたし、調査して見ましたが、「釘ぶっとし」という遊びについて見つけることはできなかったため、おそらくとてもローカルな遊びだったのではないかと思いますwww
しかし、そのルールから考察してみると、陣取りの要素と、囲碁のような要素を兼ね備えた、非常に戦略的なゲームではないかと驚愕しますね。
僕自身がそうでしたが、子供の頃に十分に遊び道具を与えてもらっていたわけではありませんから、創意工夫して友達と、今考えるとよくわからない遊びをしていました!
こうした創意工夫が、志村さんにとっては、コント作りなど、お笑いを構成していく中に、生きていたのだと思います!
志村けんさんがお亡くなりになり、改めてその影響力を感じさせられていますが、こうした子供時代の頃について、知ることで、さらに志村さんの作り上げたお笑いに、より深みを感じることができると思います。
これからも志村さんの作品で、笑わせていただこうと思います。
心よりご冥福をお祈りします。
関連記事
コメント