志村けんとさんまの共演はあった?二人の意外な共通点に驚愕!

お笑い界の大スター、志村けんさんの突然の訃報から、日にちが経ち、多くの芸能人からも追悼のコメントが寄せられていますが、その悲しみは芸能人だけでなく一般人にも広がっています。

多くの芸能人がコメントをされている中で、同じくお笑い界のスターである、明石家さんまさんからのコメントに注目が集まっています。

そこで今回は志村けんさんと明石家さんまさんの共演について、二人の経歴を比較しながら、ご紹介していきます。

 

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志村けんと明石家さんまのの経歴の比較まとめ!

まずは、志村けんさんと明石家さんまさんの関係性を理解するために、二人の経歴について、おさらいしていきましょう!

まずは志村けんさんの経歴です。

1968年にいかりやさんに弟子入り、1972年には「マックボンボン」というコンビでデビューします。

1974年にはドリフのメンバーとして加入し、人気を確立。

全員集合が終了後の1986年に「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が始まり、その後も自身がメインの出演番組を多く手掛け、人気はピークへ。

その後も多くのコント番組を中心に、バラエティ番組に出演し現在に至るまで、お笑い界の第一人者として、活躍し続けました。

志村けんさんの詳しい経歴はこちらもにもあります。

 

一方、明石家さんまさんの経歴です。

1974年に笑福亭松之助さんにに弟子入りし、その2年後の1976年にテレビデビューを果たします。

その後人気番組であった番「ヤングおー!おー!」に出演した際に、桂三枝さんの目に留まり、1978年からレギュラー出演となります。

その後大阪で、アイドル的人気を誇り、数々の人気番組のMCを任されるほどの活躍を見せ始めます。

1980年代になるとオレたちひょうきん族への、レギュラー出演により、全国的な知名度を経て、芸人としての確固たるポジションを獲得します。

年齢としては志村けんさんが1950年生まれ、さんまさんが1955年生まれということで、5歳ほど年上で、芸歴としては弟子入りからカウントすると、志村けんさんが6年先輩ということになりますね!

お二人ともともに、現在に至るまで、第一線で活躍されていますが、コントのイメージが強い志村さんに対して、トークの印象の強いさんまさんということで、住み分けもきちんとされていたように思いますね!

 

志村けんと明石家さんまの共演はあった?その番組名とは?

志村けんと明石家さんまの共演はあった?その番組名とは?

コント番組を多く手がける志村けんさんと、トーク番組を多く手がける明石家さんまさん。

そんな二人の共演は、決して多いものではありませんでしたが、それでもかつて

  • さんまのまんま
  • 踊る!さんま御殿!!
  • 恋のから騒ぎ
  • さんま・所のオシャベリの殿堂

などで共演されたことがありました!

志村さんの番組にさんまさんが出演されたことはなかったようで、少し残念ですが、回数の少ない共演だけに、今ではとても貴重なもので、映像もほとんど残されていません。

さんまのまんまでは、ゲストとして出演する志村さんが、まさかのバカ殿の姿で爺役の桑野信義さんと登場。

もしかすると、バカ殿のプロモーションの意図があったかもしれませんが、それ以外にも、慣れないトーク番組出演に、緊張のためコント形式で登場されたのかも知れませんね。

途中から服を着替えて、改めて志村けんとして再登場されますが、バカ殿の時と比べて、個人的にはトーンダウンしているように見えます。

バカ殿としている時は、、いわゆる役を演じているような状態なので、素の状態をみられることもなく、安心するのかも知れません。

そんなところから、志村さんの、照れ屋でシャイな人柄が見えるような気がしますね!

しかし、さんまのまんまにバカ殿が出演することで、一気にコント番組に豹変する気がします。

トーク中には、さんまさんが、志村さんに対して、コントを続けていることに対して、感謝をしていると伝えると、茶化しながら話を変えてしまうのですが、一瞬ですが、とても嬉しそうな表情を浮かべる志村さんが、とても印象的です。

照れ屋の志村さんが、一瞬嬉しそうな顔をしているように見えました。

終始笑いに包まれながら、番組は進んで行きますが、その一連を見ていると、関西弁と東京弁の違いもあるのかも知れませんが、志村さんの絡みやツッコミが、とてもソフトに感じます。

そして何よりとても印象的なのは、話している時も、効いている時も、ずっと笑顔の志村さんがとても印象的ですね!

 

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志村けんと明石家さんまの意外な共通点に驚愕!

そんなお二人ですが、お二人にはとても意外な共通点があります。

それは、僕たちが普段から何気なく使っている言葉の中に、この二人が生み出したり広めた言葉があることです。

志村けんさんが生み出した言葉は、ジャンケンをする時に必ず言う

「最初はグー。」

という言葉です。

この言葉は「8時だョ!全員集合」のコント中に、志村さんが言い出したことがきっかけで、世の中に広まった言葉です。

「最初はグー、またまたグー、いかりやチョー介、頭がパー、正義は勝つ!ジャンケンポン!」

というちょっと長めの掛け声もあり、この掛け声をご存知の方もいらっしゃると思います。

元々は、宴会をする時にドリフのメンバー内で使っていたようですが、気がついたら全国的に広まっていたということです。

僕の場合はリアルタイムでドリフを見ていたわけではありませんが、それでもこの掛け声は使っていました!

ご存じの方にとっては、とても懐かしいですよね!

 

一方明石家さんまさんが広めた言葉は、離婚経験のある人、もしくは離婚したことを指す「バツイチ」という言葉です。

元々は、さんまさんと、大竹しのぶさんの離婚会見の際に、さんまさんがおでこに、ペンで×と書き、会見をしたことでこの言葉が世の中に広がりました。

同じ控室で控えていた大竹さんは「なにそれ…」と呆れていたそうですwww

お二人が、それぞれ、新しい言葉を広めた背景には、世の中に対して、それだけ強い影響力をもっていたということだと思います。

それぞれ、同じお笑いという業界ではありますが、コントとトークという違うステージで戦いながらも、それぞれが成功を収めた、証とも言えるのではないでしょうか?

志村けんとたけしの関係性と仲は良かったor悪かった?二人のかつてのライバル意識に驚愕!

志村けんさんと、明石家さんまさんは、お二人とも日本のお笑い界に、多大なる功績を残されてきました。

さんまさんには、まだまだこれからも、お茶の間に笑いを提供して欲しいと思います。

そしてそんな姿を天国から、志村さんが見てくれていると思います。

心よりご冥福をお祈りします。

 

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