新型コロナに感染し、入院していた志村けんさんがお亡くなりになられたことで、芸能界はもちろん、多くのファンの方々に大きなショックを与えています。
個人的にも小さい頃から、本当によく笑わせてもらいましたし、大好きなコメディアンの一人でした。
多くの著名人が、追悼のコメントを出す中で、つい先日、自身の出演する番組で、複雑な表情で心配をするコメントを話していたビートたけしさん。
同じ時代に、お互いに意識し続けてきた芸人同士ということで、ビートたけしさんは、特別な思いがあったのではないでしょうか?
そこで今回は、志村けんとビートたけしの関係性や二人の仲について、お互いの経歴を踏まえながらご紹介していきます!
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志村けんとビートたけしの経歴の比較まとめ!
まずはより志村けんさんとビートたけしさんの関係性を理解するために、二人の経歴について、おさらいしていきましょう!
まずは志村さんの経歴です。
1968年にいかりや長介さんに弟子入り、一度は脱走しながらも、加藤茶さんの付き人になります。
1972年にはお笑いコンビ「マックボンボン」を結成し、同年にはメインとなる番組が始まるものの、約2ヶ月で番組は打ち切りになってしまいます。
その後コンビが消滅してしまいますが、ドリフの見習いとして加入。
1974年には、荒井注さんの脱退があり、加藤茶さんの推薦により、正式にドリフのメンバーとなります。
加入初期には、あまりウケずに苦労する時期があったものの、徐々にドリフの中心メンバーへ台頭し、自身の人気を確立していきます。
そして全員集合が終了後の1986年に「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が始まり、その後も自身がメインの出演番組を多く手掛け、人気はピークへ。
自身のメイン番組が終了後も、コントやバラエティ番組に出演し続け、お笑い業界に多大なる影響を与え続けました。
個人的にはドリフの世代とは違いますが、子供の頃に志村さんの人気の絶頂期だったので、「志村けんのだいじょうぶだぁ」をはじめとするバラエティ番組をとにかくよく、見ていましたね!
最近では、不定期で放送されている、バカ殿をみていて自分だけではなく、一緒に見ている子供たちも大笑いしている様子を見て、大人も子供も笑えることの凄さを感じさせられましたね。
一方、ビートたけしさんの経歴です。
1972年に芸人見習いとして、エレベーターボーイになります。
コントにこだわっていたたけしさんでしたが、ツービートを結成し、漫才へとシフトしていきます。
1980年には漫才ブームにより、一気に知名度を挙げますが、2年後にブームは収束。
漫才ブームで生き残ることができましたが、その後漫才コンビから、ピンでの活動にシフトし、1981年には「オレたちひょうきん族」が始まります。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」など数々の人気番組を輩出し、人気、露出共にピークへ。
たけしさんの番組も本当によく見ていましたので、とても懐かしいですね!
お笑いメインの番組ではありませんが、「平成教育委員会」を毎週家族でご飯を食べながら見ていました。
今よりも、この頃はテレビにとてもワクワクしていたことを覚えていますね。
志村けんとビートたけしの関係性とは?仲は良かったor悪かった?
それではそんな二人の関係性を、エピソードから考察していきます。
たけしさんが、たけし軍団を作った時に、志村さんが
「軍団を作って、何がしたいの?」
と質問したところ、
「ドリフのように、台本のあるコントがしてみたい」
と答えています。
この答えに対して、志村さんは、「俺たちひょうきん族」では「8時だョ!全員集合」とのライバル関係にあり、台本のあるコントを行っていたドリフに対しての敬意のようなものを感じました。
また映画監督として、世界的に認められるような存在になってからも、貪欲にお笑いに挑戦するたけしさんのことを、著書にて高く評価する記述もあります。
ガダルカナルタカさんによると、志村けんとバカ殿のファンであったため、たけしさんがたけし軍団の軍団員に「殿」と呼ばせるようになったというエピソードもあります。
若い頃には、二人でご飯を食べたり、ゴルフに行ったりという交友もあったようですね。
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これらのエピソードから、お二人はたけしさんの出演する『オレたちひょうきん族』と志村さんの出演する『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が同時間帯に放送されるなど、ライバル関係にありながらも、お互いが刺激を受けながら、成長していく、同じお笑い、バラエティ番組を追求していく、同志、もしくは戦友のような関係性であったことがわかります。
かつて島田紳介さんが、明石家さんまさんやオール巨人さんのような、強力なライバルが同期にいたことで成長できたため、良いライバルに恵まれたことは運が良かったと話していましたが、このようにお互いを高めあえる関係性というのは、とても大切なことだと思いますね。
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志村けんとたけしのかつてのライバル意識に驚愕!
そんな関係性のお二人ですが、若い頃の驚愕のエピソードをご紹介します。
まず一つ目は、ある時ビートたけしさんが、出演されている「オールナイトニッポン」の深夜の生放送中の収録中に、
「勉強させてください。」
といきなり志村さんが収録現場に現れて、収録終わりまで内容を聞いていました。
そして収録が終わった後に、話しかけると
「到底、私にはできない仕事です。」
と話して収録現場を後にされました。
もしかすると、志村さんにもラジオ番組の声がかかっていて、その仕事をするのかしないのか、悩んでいて、ビートたけしさんの研ぎ澄まされたトークを見て、これはかなわない、自分はコントを道を追求していこうと考えたもかもしれません。
そうなると、今日までの志村けんさんの芸人としてのスタイルには、ビートたけしさんの影響があることになりますね。
二つ目は、ビートたけしさんが高級クラブへ飲みに行った時のエピソードで、同じお店にたまたま来ていた二人は、合流して、一緒に飲んでいました。
そして支払いの時になると、たけしさんは「年上だから、オイラが払う」と言い張り、志村さんは「先輩だから、俺が払う」と言い張り、どちらがお金を支払うかで揉め始めました。
そこに後輩が「じゃあ俺が払います!」と割って入ると、二人とも「そうか…」と引き下がりました!
どこかのコントで見たことがあるような、驚愕のエピソードですね!
高級クラブということですから、後輩はとんでもない金額を支払わされてしまいますが、こういった関係性が、微笑ましくもありますね!
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志村けんさんと、ビートたけしさんは、お二人とも日本のお笑い界に、多大なる功績を残されてきました。
ビートたけしさんには、まだまだこれからも、お茶の間に笑いを提供して欲しいと思います。
そしてそんな姿を天国から、志村さんが見てくれていると思います。
心よりご冥福をお祈りします。
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