コロナウィルスの影響で、外出の難しい子供たちのために、北海道文化放送で「ひちょり体操」を放送することを発表して、元プロ野球選手の森本稀哲(もりもとひちょり)さんが話題になっています!
森本さんといえば、何と言っても、新庄さんと共にはじめた、パフォーマンスでファンを楽しませてくれた姿がとても印象的でしたね!
そこで今回はそんな森本稀哲さんのひちょりの意味と由来、そして引退試合での感動のエピソードをご紹介していきます!
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森本稀哲の経歴&プロフィールまとめ!新庄剛志との関係性も!
それでは、早速ご紹介していきます!
森本稀哲さんは、現在38歳の元プロ役遊選手です。
現役中には日本ハム、横浜ベイスターズ、西武ライオンズに所属していました。
小学校から野球を始めており、高校時代には名門の帝京高校でショートでキャプテンを務め、見事3回戦まで、進出することができました。
そして1998年に日本ハムファイターズからドラフト4位指名を受け、入団することになります。
森本さんは少年時代から、病気の影響で髪の毛を失うことになります。
小学生というとてもデリケートな時期でもあり、他チームの選手たちから、笑われることが多かったと言います。
しかし野球が上手くなれば上手くなるほど、自分のことを笑う人はいなくなっていきました。
自分の実力で、周囲を黙らせることに成功しました。
森本少年にとっては、それがとても快感で、そのモチベーションで上手くなるために貪欲に練習に励みました。
多かれ少なかれ、ほとんどの方が何かしらのコンプレックスを持っていると思いますが、そのコンプっレックスを原動力にして、努力を重ねるということが、とても素晴らしいことだと思います!
日本ハムには、内野手として入団しますが、入団後に外野手に転向、新庄剛志さん、稲葉稲葉篤紀と鉄壁の外野陣を形成します。
2004年に新庄剛志さんがメジャーから日本ハムへ入団すると、師弟関係となり、寝食を共にする関係性となります。
野球について非常に多くのことを学びましたが、一方では、練習をあまりしなくなったり、金銭感覚がおかしくなったり、派手に遊んだりと、良い影響ばかりではなかったようですねwww
ひちょり(稀哲)の意味と由来は何?そこには父の影響が!
そんな森本稀哲さんですが、稀哲(ひちょり)ってとても珍しいですよね!
実は森本さんは、お父さんが韓国籍、お母さんが日本人の二人から生まれた子です。
名前の感じである一つ目の稀という文字は、韓国という意味があります。
そしてもう一つの哲は実際には「ちょる」と呼びます。
しかしこれでは「ひちょる」となってしまうところですが、韓国語では、語尾が子音で呼ばれる言葉は、語呂が良くないとされ、子音よりも、最後を「い」で終わらせる方がまとめやすいようで、様々な言葉でも「い」に近い形で発音されることが多いです。
このように韓国の文化が影響し、ひちょるではなく、ひちょりという呼び方になったというのが名前の由来になります。
個人的には確かにひちょるよりも、ひちょりの方が親しみが感じられるような気がしますね!
イチローみたいに、登録名をヒチョリとしていたら、ファンとしても、もっと人気が盛り上がっていたかもしれませんね!
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森本稀哲の引退試合での選手同士の思いに感動!
プロ野球選手として、多くのファンを魅了してきた森本稀哲さんも、2015年に引退することになり、最終戦である西武対楽天が引退試合となりました。
8回から7番ライトとして出場し、球場は一段と盛り上がります。
3対1で、2点リードの西武。
8回裏になり1番先頭打者の秋山選手から攻撃が始まります。
打順が7番の森本さんまで打席を回すためには、あと6人、最低でも4人が塁に出ないといけないシチュエーションです。
「最後に打席に立たせてあげたい」
そんなチームメイトの想いはひとつになり、4番中村剛也選手までみんなでつないでいきます。
森本選手を打席に立たせるためにはあと一人…
打席に立ったのは5番打者メヒア選手。
異様な球場のムードの中で、メヒア選手はボテボテのサードゴロを打ちました。
ゲッツーで攻守交代かと、誰もが諦めたその瞬間に目に飛び込んできたのは、メヒア選手が大きな体を揺らしながら、ファーストまで全力で走る姿でした。
間一髪でメヒア選手はセーフに、次の打者である6番の栗山巧選手も、粘った末にフォアボール。
こうしてチームメイトの強い思いが、奇跡となり、難しい状況から、引退試合で打席に立つことができました。
森本稀哲さんも、そんなチームメイトの姿から、グランド上で号泣してしまいました。
横浜から西武に移籍してきて、若干2年、チームメイトと過ごした時間は短いものだったと思いますが、これだけ慕われていたのは、森本さんの人間性の賜物だと思います!
森本選手の練習での直向きな姿勢に影響されたと、中村剛也選手も話していましたが、まさにベテラン選手の鏡のような選手だったのではないでしょうか。
野球界で多くの選手に慕われ、人望も暑い森本稀哲さん。
今後は、またユニフォームを着て、多くの選手を残す指導者として、活躍する姿を楽しみにしていますよ!
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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